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2000.12
日本に招聘したいミュージシャンとして、いつも筆頭に上がってきたマックス・ローチ。UNHCRの50年に及ぶ世界の難民救済の活動に敬意を称し、待望の来日が実現する。21世紀を迎えるわたしたちが、難民問題への解決のためにもっと積極的に協力できることを、世界最高のモダン・ジャズ・ドラミング、マックス・ローチを通し、強く意識できることを願う。また、本企画に賛同して頂いた日本のジャズミュージシャンの方々に、当日特別出演して頂きました。なお、本コンサートによる収益金は、UNHCRを通じ、世界の難民の救済に充てられました 。
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2000.05
ユネスコ主催「世界水会議2000」でのアジア代表スピーチ参加。
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2000.04
ニューヨークにおいて 成果発表キャンペーン協力。
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1998.03
ロバート・ケネディJr.氏、アメリカ最大の環境NGO“NRDC”とともに、メキシコ・サンイグナシオ環礁での野生動物救済キャンペーンへの参加。
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1998.02
「第一回アースアクセス委員会環境セッション」開催。故ロバート・ケネディ司法官の子息ロバート・ケネディJr.氏 日本招聘。
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1997.11
信越ポリマー(株)特別制作協賛その他多くの協賛を得て、アースアクセス委員会オリジナル制作による「国連難民救済募金箱」5,000個を制作。製作披露会をUNHCR東京事務所で行う。市民レベルで国連関連機関の募金箱を制作および運営するのは世界では初めてである。
※1998年より毎年、年2回国連に寄贈しています。
1997.10
銀座マリオン地下街約50mのウィンドウディスプレイをUNHCRが提供され、アートディレクション・デザインワークを日本E.A.C.が担当する。
1997.07
大阪キリンビール社にて、アースアクセス委員会活動の紹介をかねた講演を行う。
1997.06
世界の恵まれない子供達へのチャリティコンサートとして、英国ロスチャイルド家シャルロッテ・ド・ロスチャイルド女史によるソプラノソロコンサートを主催。収益金を日本のユニセフへ寄付。
1997.05
ニューヨークにて“アースアクセス委員会米国財団”発足。
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1997.01
オリエントコーポレーション社とVISA・JCB・マスターとの提携による三種の“E.A.C.社会貢献カード”が発行される。
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1996.12
ニューヨークにて、「日本国国連加盟40周年記念式典」へ出席。国連全権大使 小和田夫妻と会合。E.A.C.社会貢献カードの紹介をする。
1996.11
ニューヨークにて、故ロバート・ケネディ氏の長男、ロバート・F・ケネディJr氏宅を訪ねる。氏はペース大学の環境訴訟問題の教授であり、21世紀に向けたアースアクセス委員会の協議委員としての活動を行うことを約束。
1996.10
世界JAZZピアニスト、ハービー・ハンコック夫妻来訪。「ワールドミュージック フェスティバル'95」のお礼を述べる。
1996.03
オリエントコーポレーション社による、社会貢献カードとして、“E.A.C.カード”が立案される。
1996.02
「第1回下関市新水族館設立委員会」が開催される。同時に下関市長より、正式な委任状が渡される。
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1995.11
アースアクセス委員会のこれまでの活動に対して、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)駐日代表より、感謝状が送られる。
1995.10
阪神大震災の被災者でもある高校生、大学生等、約6,000名を無料招待した「ワールドミュージック フェスティバル'95」を多くの協力を得て、開催する。世界より約50名のミュージシャンを招へいし、TV・新聞・雑誌等で取り上げられる。
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1995.09
オノ・ヨーコ、湯川レイコ各氏と会合し、「ワールドミュージック フェスティバル'95」賛同のメッセージを受理する。同月、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)へ同月までの全ての売り上げを寄付する。東京都港区南麻布に、U.S.A-JAPAN E.A.C.のサロン的役割を果たすべく目的で、“オフ フィフス アベニュー”の空間を独自にプロデュース、デザインしオープンさせる。
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1995.08
阪神大震災ベネフィット2枚組CD「レインボー・ロータス」が日本ポリドールより発表され、大きな話題を得る。
1995.07
JAZZ界の重鎮、そして闘士でもあるマックス・ローチ氏と会合し、次なる連合活動を約束する。
1995.06
阪神大震災ベネフィットCDの意を汲んだ「ワールドミュージック フェスティバル'95」チャリティコンサートを阪神地域で開催することに向けて、企画をスタートさせる。並行して、企業協賛、個人協賛を新聞・雑誌を通して全国に呼びかける。->10月
1995.05
ニューヨーク国連本部にて、人道問題担当事務次長、前「自然災害軽減世界会議」議長のピーター・ハンセン氏と会合する。
1995.04
「第4回国際イルカ・クジラ会議」に作品を出展する。
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1995.03
ニューヨーク在住ミュージシャンの呼びかけで、「阪神大震災ベネフィット(慈善)CD」の制作を開始する。プロデュース、協賛企業への呼びかけ、アートディレクションアートワークを協力する。参加ミュージシャンはハービー・ハンコック、ディーブ・ホランド、パット・メセニー、キース・ジャレット、ジャック・ディジョネット、坂本龍一、その他総勢27名
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1994.06
銀座ミキモトホールにて、U.S.A-JAPAN E.A.C.のアートワークス展を開催するとともに、アースアクセス委員会の理念を広くアピールする。
アースアクセス委員会および(財)日本国際連合協会から記念切手販売が開始される。売り上げはUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に寄付される。
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1994.05
日本初の国連会議「自然災害軽減世界会議」(横浜)に特別出展する。席上、日本郵政省および国連郵便管理局とで古賀賢治制作「国際防災の10年」記念切手の世界同時発行が発表され、スピーチを行う。ニューヨーク国連本部、国連ウィーン事務局、国連ジュネーブ事務局より約600万枚が発行、販売される。
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1994.02
日本国土庁より、「国連防災世界会議」国内使用ポスターの依頼を受け、制作を行う。
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1994.01
国連ジュネーブ事務局より、「国連防災世界会議」用ポスター(英語圏・仏語圏・露語圏・独語圏・中国語圏・スペイン語圏)の依頼を受け、制作を行う。
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1993.12
伊勢丹デパートにて、U.S.A-JAPAN E.A.C.のアートワークス展を開催し、売り上げの一部を(財)日本ユニセフ協会に寄付する。
1993.08
(株)全日空商事より、「KENJI KOGAコレクション」が発表される。その全デザインライセンス料を(財)日本ユニセフ協会に寄付する。
1993.07
「国際防災の10年」の作品を提出し、国連切手デザイン委員会の決定を経て選出される。
1993.05
ニューヨーク、ミューチュアル保険会社本社ギャラリーにて、同個展を開催する。同月、ニューヨーク国連本部にて、“Symbol of Peace”の原画2点、シルクスクリーン6点の永久保存特別レセプションが開催される。アートディレクターズクラブ会長ミルトン・グレイザー氏が同席する。席上、国連郵便管理局長より、国連郵政部主催「国際防災の10年」の記念切手デザイン世界コンペの参加を認められる。
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1993.04
ニューヨーク、アートディレクターズクラブギャラリーにて「KENJI KOGA」個展を開催する。
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1993.03
ニューヨーク在住のロビーストでもあり社交界でも著名なグロリア・S・キンス女史宅で、ニューヨークリンク誌社長エリック・L・ウィン氏をはじめ、各国大使館、実業界、社交界、さらに国連のディレクター諸氏と交流する。
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1992.12
“Symbol of Peace”のシルクスクリーン3種を刷り上げる。
同月、来日中の米国歌手マイケル・ジャクソン氏より、アートワークの依頼を受ける。同氏とは約11日間共に過ごし、さまざまな意見を交換する。また、同氏に“Symbol of Peace”のシルクスクリーン、アーティストプルーフ3点および“Ken & Tess”のプロモーションビデオを寄贈する。
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1992.12
“Ken & Tess”のプロモーションビデオの制作を開始する。
同年11月に完成する。(日本語版・英語版・仏語版)
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1992.09
“Ken & Tess”のキャラクターアーティストに上田三根子氏を決定する。
1992.08
アースアクセス絶滅動物たちの人形制作(全24点を計画)のコンセプトづくりをスタートさせる。立体制作アーティストに酒井志保氏をノミネートする。
1992.07
“Ken & Tess”制作に向けて、キャラクターアーティストのコンペ(国内)を実施する。
1992.06
古賀賢治、金井徹(コピーライター)、ニューヨーク在中のアーティスト等による「アースアクセス準備委員会」を設立する。同月、環境キャラクター“Ken & Tess”のコンセプトづくりをスタートさせる。
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1991.11
同委員会代表 古賀賢治、コペンハーゲンに渡り、アースアクセス委員会の設立基盤となる”Simbol of Peace”(平和の象徴)のアイデア立案。帰国後、その表現としてのコラージュ制作にとりかかる。
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